ネパール・北部インドの旅
ヒマラヤ遊覧飛行とタージマハール観光



1、チャーター機でエベレスト山脈を展望

インドのデリー空港よりカトマンズに入り、ごった返す国内便空港で28人乗りのチャーター機に乗る。目指すは標高8848メートルのエベレスト。プロペラ機は雲の中を上昇し、しばらくすると視界がひらけ、前方に山脈が見えてくる。太陽に輝く雪山は壮観そのものである。ガイドのアチユット氏が山の名前を教えてくれる。興奮気味の一同はカメラ撮影に夢中である。だが、なかなかエベレストは視界に入って来ない。それは、遥か彼方の山々の奥に聳えているからである。

コックピットからも写真を撮って良いと言うので、順番に狭い所にいってシャッターを押す。わが AF ニッコールは、きっと山々を捉えてくれたに違いないと祈念する

 

2、 トレッキングで丘の上よりマナスルを眺望

サランコットの丘へは、ポカラ市街を抜け、バスで中腹まで登り、そこから急坂を歩く。マナスル連峰が聳えており、頂上に近づくに連れて大きくなる(東からマナスル・アンナプルナ・ダウラギリと、いずれも8000メートル級)。深呼吸をすると空気がひんやりとしていて、とてもおいしい

 

3、ヒンズー教寺院と活仏

寺院周辺には店も多く、買い物客でごった返している。また、鳩がとても大切にされていて、その群れが飛び立つと風が巻き上がるほどだ。カトマンズには「クマ−リの館」と呼ばれる活仏の少女の住む寺がある。サキャ(金銀細工のカースト)から選ばれた10歳の処女が1年交代でつとめる。午前10時ごろに3階の窓から参拝者にちょっと顔を見せる。丸顔の賢そうな少女であった(写真は厳禁。チベット仏教では、選ばれた男性が一生つとめる) 。

 

4、 チベッタンキャンプを訪れて

中国軍がヒマラヤを越えてチベットを併合した時に僧侶とそれに従う多くのチベット人が、ネパール・インドに逃れてきた。活仏ダライラマがそのシンボルであり、今もチベットの独立のための活動をしている。チベット民族は、四川・雲南・青海省にも多数がいてラマ経を信仰しているので、漢民族中心の中国政府に馴染まないところがある。

 私たちがネパールに行った時は、チベットで暴動が起きていたので、かなり空港のチェックも厳しかった。カトマンズの一角にチベット民族の居住地があり、寺院も建っていた。おそらくこの地に暮らす人達は望郷の思いが強いのではないかと、急に襲って来た激しい雷雨の中で思うのであった。私たちが訪れた翌日には、ネパールでも抗議のデモがあった。

 

5、 ネパールあれこれ

郊外には、かなり立派な2〜3階建ての家が立ち並んでいる。これはイギリスに雇われているグルカ族の兵士の家だそうで、年金が月2〜5万円ぐらいあるので、とても恵まれているそうだ。特産品はヒマラヤ茶で香りがよい。また羊の喉の毛で編むパシミナは高級である。ネパールは、釈迦の生まれた国だが、現在はヒンズー教である。インドとバリ島もそうだ。仏教とも共通の要素が多いが、より土俗的だ。この宗教は、現世で努力すれば来世は階級が上がると言う教えで、カースト(身分)制を今も守っている。

人口約2700万人、自給自足の農耕民族の国で、平均年収は45000円。空から見ると山頂まで段々畑が開かれていて、所々に数軒の集落がある。車も通れないような所に住んでいる。この4月に総選挙があり、王政から民主制に転換する予定で、共産党毛沢東派がかなり強いようだ。貧富の格差が大きい所では、富の平等を掲げる社会・共産主義への支持が多くなるのである。これはヒンズー教信仰の輪廻転生論の弱体化でもある。

 

6、インドの町と貧富の格差

悠久の歴史と広大な面積と11億人あまりの人々を抱えるインドは、車とバイク・自転車でひどい交通渋滞である。しかも、放し飼いの牛たちが、わが者顔に大道をのし歩いたり寝そべったりしている。歩道の日陰には、痩せさらばえた老人が手枕で眠りこけている。道端の樹木の下には、ビニールシートの小屋が立ち並び家族で暮らしている。赤子を抱いたサリー姿の婦人や障害者が通る人に手を差し出して者を乞う。旅行者と見れば、子どもにアクロバットや手品をさせてチップをねだる母子や、工芸品やガイドブックをしつこく売りつける物売り。

カースト(身分・出身)制度は、ヒンズー教の地では今なお残るが、それは、人間の存在の根源と尊厳性に関わる問題であろう。大きくは、バラモン(僧−羊・山羊)・クシャトリア(王族−山羊・鶏・卵)・ビアイシャ(農商工業−水牛)・スードラ(奴隷・清掃・サービス−イノブタ)とアチュート(不可触賎民)の5階級に分かれるが、それぞれの階級に職業別の名があり、数え切れないという。ガイドから聞いた話では、食べ物にも区分がある。また、別の階級には入れない。イスラムや仏教徒が入るとすればスードラになるそうだ。

 

7、イスラム建築のみごとさ

インドの宗教史は、仏教→ヒンズー教→イスラム教→ヒンズー教となるのであろうが、見事な遺産は、イスラム文化の色彩が濃い。ムガール(モンゴル)帝国のアグラ城(デリーまでの200キロの地下道は馬で通れたそうだ)とタ−ジマハール廟(愛する王妃のための総大理石の廟の建築に莫大な資金を投じ、息子に幽閉されてしまったジャハーン王の悲劇)は、ことに見事である。ヒンズーの寺院を土台にしたクトゥブミナールの72メートルの塔も素晴らしい。

8、インドの街角−ホーリー祭

デリーからアグラへ向う日は、ホーリー祭前日で、トラックやバスの乗客は超満員で、バスの上にもこぼれ落ちそうなほどの人が乗っているのには恐れ入った。この満月の日の祭では、赤や黒などの色水を誰にでもかけてよいのだそうで、バスの上からも通る人を目がけて引っかけるし、顔や髪の毛も多くの男性たちが染まっていて、赤鬼・黒鬼・青鬼のような不気味さがある(中東のクルド民族は、この日をノウルーズと呼び新年にあたるそうだ) 。

 

9、  インド料理―ナンと牛糞・カレーの味

小屋を小型にした壁作りを良く見かける。これは、牛糞を乾燥して保存しているのだそうで燃料にするためである。良く食べるナンを焼くにも使われるそうだ。モンゴルでも牛糞は燃料にしていたが、生活の知恵である。食事たびにカレーは数種類出るが、本場の味は微妙に異なる。機内食のチキンカレーは、まろやかでなかなか行けるが、青唐辛子はものすごい辛さで参る。顔から汗が噴き出るほどだ。

かくして、 24 人の旅は無事に終わる。(安)