1、縄文時代の多くの住居は、土間に炉が作られている。( )
2、貝塚に、死体を埋めたり、捨てたりしてはいない。( )
3、加曾利貝塚では、人骨と犬の骨が一緒に出土しているが、この犬は狩猟犬であろう。( )
4、狩猟には、トリカブトなどの毒矢を使ったようである。( )
5、土器に漆を塗るのは、縄文時代にはまだ見られない。( )
6、衣服には、動物の毛皮を使うが、まだ布や編み物は使われていない。( )
7、土器づくりを専門に行う人たちがいたようだ。( )
8、人生の節目ごとに抜歯をする風習があったようだ。( )
9、大型の動物やクジラ・シャチなどは危険なので狩猟しなかったようだ。( )
10、土偶や土版は、子どもたちの玩具である。( )
11、縄文時代には、王のいる国が日本列島に作られていた。( )
12、発掘された縄文遺跡は、西日本より東日本に多い。( )
13、琥珀は、日本列島では銚子地方だけで採れた。( )
14、ヒスイは、日本列島では糸魚川地方だけで採れた。( )
15、縄文人は、土器などの接着用にアスファルトなども使っていた。( )
16、貝輪は、主に男性がはめていたようだ。( )
17、腰飾りは、男女ともに下げていたようだ。( )
18、黒曜石は、日本列島では長野県の和田峠付近だけで採れた。( )
19、女性の死体には、赤色の顔料が振りかけられていることが多い。( )
20、石棒は、祭りや祈りの道具として使われっていたようだ。( )
21、この時代には、まだ階級や身分差別はなかったようだ。( )
22、この時代には、もうクリの木の栽培をしていたようだ。( )
23、縄文時代晩期には、日本列島では水田稲作をしていた所があるようだ。( )
24、岸辺の大型貝塚は、物々交換をするための干し貝づくりのごみ捨て場である。( )
25、ストーンサークル(環状列石)は、墓地と考えられる。( )
26、縄文時代は、気候の変動が激しく植生や動物などにも多大な影響があった。( )
27、装身具のネックレスやイヤリングは、女性が美しく見せようとしてつけたようだ。( )
28、平らな仮面をつけている土偶は、祈祷するシャーマンの姿であろう。( )
29、国宝の合掌土偶は、座産の形で安産を祈っているようだ。( )
30、多くの土偶には赤色の顔料が塗られており、乳房や妊娠などの表現から女性のようだ。( )
31、北陸地方が豪雪地帯になったのは、対馬海峡に暖流が流れるようになったからだ。( )
32、この時代の人口が最も多かったのは、後期である。( )
33、装身具に使われる琥珀の産地は、日本列島にはなかった。( )
34、ヒスイや琥珀を装身具にした縄文人は、身分が高かったようだ。( )
35、この時代の土器の多くには、縄目の文様が見られるので「縄文時代」と言うようになった。( )
36、加曽利貝塚には、大規模貝塚が3〜4か所ある。( )
37、加曽利貝塚出土の土器には、中期のB式、後期のE式がある。( )
38、縄文人の平均年齢は、男性35〜40歳、女性は30〜35歳ぐらいだろう。( )
39、この時代の家族の人数は、およそ4〜6人ぐらいのようだ。( )
40、国宝の火焔土器は、神前に供える物だけとして使われたと思われる。( )
41、国宝土偶「縄文のビーナス」は、青森県から出土した。( )
42、土器には、出産の様子(母と子の顔)をかたどったような物もある。( )
43、この時代は、大型の丸木舟で、かなりの遠くまで行き来していたようだ。( )
44、この時代には、まだ魚網を使った漁は、どこでもしていなかった。( )
45、土版は、生まれた子どものお守りとして作られたようだ。( )
46、耳飾りには、耳に下げる物と、耳たぶの穴にはめる物がある。( )
47、首飾りのヒスイには、穴があいているが、硬い石なので自然に出来た物を使ったようだ。( )
48、石棒や独鈷石は、青年たちの打ち合う遊びに使われていたようだ。( )
49、石剣は、当時のお金として、物の売り買いに使われていた。( )
50、甕棺墓は、集落の長老の遺体を敬うためだけに使われたと思われる。( )
51、縄文文化の起源を北方と従来は考えていたが、間違いである。( )
52、この時代には、すでに果実酒が造られていたようだ。( )
53、塩の摂取は、動物の血や干し貝だったが、晩期には海岸地帯で塩を作って交易品にしていた。( )
54、縄文時代の遺跡が、九州南部に少ないのは、北方との交流がなかったからである。( )
55、この時代の死体の埋葬は、すべて屈葬である。( )
56、女性が貝輪を沢山つけているは、男性よりも身分が高い証明であろう。( )
57、この時代の建物の屋根には、萱よりも木の皮や土が多く使われていたであろう。( )
58、外洋を遊泳する大型のクジラやシャチなどは、捕獲できなかったようだ。( )
59、この時代によく使われた材木は、クリ・トチであるが、水辺にはウルシ材も使われている。( )
60、縄文中期までは、東北地方にはナウマンゾウやオオツノシカがいたようだ。( )
61、この時代には、定住化が進み、高齢者が増えたと思われる。( )
62、日本列島は、周辺が海なので文化も孤立していた。( )
63、この時代には温暖化が進み、氷河が溶けて、海岸線が後退した。( )
64、ヒョウタンやエゴマの栽培は、かなり早くから行われていたようだ。( )
65、日本列島に中期は20数万人が住んでいたようだが、末期には大幅に減ったようだ。( )
66、加曽利貝塚などにある炉のない大型建物は、大家族の物置き小屋と考えられる。( )
67、縄文人の主な食物は、人骨分析の結果、クリ・クルミ・ドングリ類などの堅い果実と考えられる。( )
68、焼畑耕作では、オオムギやソバなどが、すでに栽培されていたようだ。( )
69、釣針の形は、縄文時代から現在まで、ほとんど変わっていないのは不思議なほどだ。( )
70、大陸から渡来した「稲作」が契機で、縄文時代から弥生時代へと日本は変わったと言えよう。( )
71、「魏志倭人伝」によれば当時は刺青をしていたが、縄文時代も土偶を見るとしていたようである。( )
72、この時代の女性の多くは抜歯をしているが、後の「お歯黒」は、その名残と考える人もいる。( )
73、「魏志倭人伝」には、邪馬台国の女王から奴隷(生口)が数百人献上されているが、縄文時代には奴隷はいなかったようだ。( )
74、沖縄地方には祖先を崇める洗骨葬の風習があるが、それは縄文時代の名残かも知れない。( )
75、国の特別史跡「三内丸山」は、最盛期には500人ぐらいの人が生活していたと言われる。( )
76、九州南部で最近まで古い縄文遺跡が発見されなかったのは、火山灰の堆積が原因である。( )
77、この時代には、津軽海峡の潮流が激しく対岸との交流はなかったようだ。( )
78、縄文時代1万年間の人口密集地は、三内丸山遺跡を中心とする東北地方北部だけであった。( )
79、この時代には、外敵を防ぐために集落の周りに環状の溝を掘っている。( )
80、縄文人は、照葉樹林帯での生活を落葉広葉樹林帯よりも好んでいた。( )
81、この時代の婚姻関係は、女性の家が中心だったと言う意見もある。( )
82、採集した果実などの食料は、貯蔵用の穴に蓄えていた。( )
83、採集した木の実などを石皿と磨り石で粉にし、あくを抜き、練り物にして食べていた。( )
84、ヒスイや蛇紋岩に孔をあけるのには、硬い砂粒などを使ったようだ。( )
85、動物を捕るための鏃の黒曜石は、特産品と交易して手に入れたと思われる。( )
86、土器や土偶などの補修には、アスファルトや漆を使用した。( )
87、土器の水漏れを防ぐためには、漆などを塗ったようだ。( )
88、縄文人の多くは、無病息災や魔除けなどのために刺青をしていたようだ。( )
89、すでにこの時代には丸木舟などで外洋や、海外まで乗り出していたと思われる。( )
90、縄文時代は地球の温暖化が進み、水があふれて、魚介類を捕れなくなった。( )
91、南関東地方では、縄文中期になると、人口がかなり増えたようだ。( )
92、円形に立てた巨大な木柱は、外敵と戦う砦としてであろう。( )
93、縄文時代を通して、犬の他には動物を飼育していなかったようだ。( )
94、伊豆諸島の八丈島などは本土から孤立していて、縄文文化はなかった。( )
95、縄文前期の人たちは、弥生時代に比べて、背が高く、細身であった。( )
96、縄文時代に貝殻で文様をつけた土器が、大隅海峡を挟んだ南北の地域で使われていた。( )
97、国宝の火焔土器は、口縁部の把手が進化したもので、日常生活で使われていた。( )
98、縄文時代は、5期に分類するのが普通である。( )
99、縄文時代早期以降の九州南部の人口減は、大爆発による火山灰の堆積などが原因のようだ。( )
100、大小の石棒は、子孫繁栄のお祭りの道具として大切にされていたようだ。( )
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