縄文検定例題集110問

※(  )内に正しいものには○、誤っているものには×を入れる。

 1、縄文時代の竪穴住居には、炉がない。
 2、千葉県柏市周辺には、地下道が掘られているが、
    砂嵐や寒風を避けるためであろう。
 3、貝塚には、死体を埋めたり、捨てたりしてはいない。  
 4、大型の貝塚の多くは、干し貝作りや貝のスープ作りの跡であろう。
 5、貝塚では、人骨と犬の骨が一緒に出土するが、この犬は番犬であろう。
 6、縄文人は、犬の肉を食べていたようだ。
 7、縄文人は、土器や弓矢を考案したので生活がとても向上した。
 8、土器に漆を塗るのは、縄文時代にはまだ見られない。
 9、縄文人は、うるしを採って利用した。
10、衣服に動物の毛皮を使ったが、まだ布や編み物は使われていない。

11、質の高い土器づくりを専門に行う人たちがいたようだ。
12、縄文人には、抜歯の風習はなかった。
13、縄文時代は、丸木舟しかないので、外洋には出られなかった。 
14、縄文人は、クジラやシャチなどの大型動物の漁を外洋で行った。
15、縄文時代の土偶や土版は、祈祷に使用したようだ。
16、縄文時代の日本列島には大集落があり、王がいた。
17、縄文時代は、各地に小さな集落が散在していたので、大きな国はなかった。
18、発掘された縄文遺跡は、西日本より東日本に多い。
19、縄文人は、西日本にはいなかった。
20、琥珀は、日本列島では千葉の銚子地方だけで採れた。

21、縄文遺跡から出土する琥珀は、外国産である。
22、貴重な硬玉ヒスイは、新潟県の青海町で採れる。
23、縄文人は、接着用のアスファルトや漆をまだ発見していなかった。
24、縄文時代、土器や土偶の接着に漆・アスファルトなどを使った。
25、貝輪は、主に男性がはめていた。
26、縄文時代の女性は、だれでも立派な装身具を沢山つけていた。
27、立派な装身具は、長老や祈祷師が身につけていたようだ。
28、黒曜石は、日本列島では長野県の和田峠付近だけで採れた。
29、黒曜石は、鏃の材料などとして重要な交易品である。
30、女性の死体には、赤色の顔料が振りかけられていることが多い。

31、石棒は、祭りや祈りの道具として使われっていたようだ。
32、縄文時代には、まだ階級や身分差別は、ほとんどなかったようだ。
33、縄文時代には、もうクリの木の栽培をしていたようだ。
34、縄文時代晩期には、日本列島では稲作をしていた所があるようだ。
35、縄文時代の日本では、まだ稲の栽培はどこでもしていなかった。
36、大型貝塚は、物々交換のための干し貝やスープ作りのごみ捨て場である。
37、縄文時代には、
   日本各地の特産品がすでに広い範囲で物々交換されていた。
38、ストーンサークル(環状列石)の場所は、墓地や祭りの広場と考えられる。
39、装身具の首飾りや耳輪は、女性が美しく見せようとしてつけた。
40、仮面をつけている土偶は、祈祷するシャーマンなどの姿であろう。

41、合掌土偶は、座産の形で安産を祈っているようだ。
42、土偶の多くには赤色の顔料が塗られ、乳房や妊娠線から女性と思われる。
43、縄文時代で人口が最も多かったのは、後期の西日本である。
44、貴重なヒスイや琥珀を装身具にした縄文人は、身分が高かったようだ。
45、縄文時代の遺跡からは、必ず縄目の文様の土器が出土する。
46、縄文人の平均年齢は、おおよそ男性35〜40歳、
   女性は30〜35歳ぐらいだろう。
47、この時代の家族の人数は、おおよそ4〜6人ぐらいのようだ。
48、火焔型土器は、主に神前に供えて儀式を行った道具のようだ。
49、国宝の代表的な火焔型土器には「縄文雪炎」の愛称がある。
50、「縄文のビーナス」と、「仮面の女神」は、尖石縄文考古館に所蔵されている。

51、縄文時代には、丸木舟などで、遠く大陸まで往来していたと思われる。
52、縄文時代には、魚網を使った漁は、どこでも まだしていなかった。 
53、釣針の形は、縄文時代と現在では、かなり変わっている。
54、土版は、生まれた子どものお守りとして作られた。
55、耳飾りには、耳に下げる物と、耳たぶの穴や耳穴にはめる物などがある。
56、ヒスイの首飾りには穴があいているが、硬い石なので自然に出来た物だ。
57、石棒や独鈷石は、青年たちの打ち合う遊びに使われていた。
58、ミニチュアの石剣は、お金として、物資の交換に使われていた。
59、甕棺墓は、集落の長老の遺体を敬うためだけに使われた。
60、この時代には、すでに果実酒が造られていた。

61、縄文晩期には、海岸で塩を作り交易品にしていた。
62、縄文遺跡が、九州南部に少ないのは、北方との交流がなかったからである。
63、縄文時代の死体の埋葬は、すべて屈葬である。
64、貝輪を沢山つけている縄文の女性は、祈祷師であろう。
65、この時代の建物の屋根には、萱よりも木の皮や土が多く使われていた。   
66、外洋を遊泳する大型のクジラやシャチなどは、縄文人には捕獲できなかった。
67、縄文時代によく使われた材木は、クリやトチだが、
   水辺にはウルシ材も使われた。
68、縄文中期までは、東北地方にはナウマンゾウやオオツノシカがいた。
69、縄文時代に、弓矢と土器が考案されて定住化が進み、年長者も増えた。
70、日本は周辺が海なので、縄文時代の文化はまったく孤立していた。

71、縄文時代には温暖化により、氷河が溶け、海岸線が後退した。
72、縄文時代には、干潟が広がり、魚介類がたくさん捕れた。
73、ヒョウタンやエゴマの栽培は、縄文時代から行われていた。
74、縄文中・御期の人口は20数万人だが、晩期にはだいぶ減ったようだ。
75、炉のない大型の建物は、大家族の夏用の住居だろう。
76、縄文人の主な食物は、クリ・クルミ・ドングリなどの堅い果実のようだ。
77、縄文時代には、焼畑耕作でオオムギやソバなどが、
   すでに栽培されていたようだ。
78、縄文時代の女性の多くは抜歯をしているが、
   後の「お歯黒」は、その名残だろう。
79、沖縄地方には洗骨葬の風習があるが、それは縄文時代の名残だろう。
80、国の特別史跡「三内丸山」は、
   最盛期には500人ぐらいの人が生活していたようだ。

81、九州南部で縄文遺跡が発見されなかったのは、
   火山灰の堆積などが原因である。
82、縄文時代には、津軽海峡の潮流が激しく北海道と本土の交流はなかった。
83、縄文時代約1万2千年間の人口密集地は、
   三内丸山遺跡を中心とする東北地方北部だけである。
84、縄文時代には、外敵を防ぐために集落の周りに溝を掘った。
85、縄文人は、照葉樹林帯での生活を落葉広葉樹林帯よりも好んでいた。
86、縄文時代の婚姻は、女性の家が中心だったようだ。
87、採集した果実などの食料は、炉の上に下げて蓄えていた。
88、採集した木の実を石皿と磨り石で粉にし、あくを抜き、練り物にして食べた。
89、ヒスイや蛇紋岩に孔をあけるのには、硬い砂粒などを使ったようだ。
90、動物を捕るための鏃の黒曜石は、特産品と交易して手に入れた。

91、土器や土偶などの補修には、粘土を使用した。
92、土器の水漏れを防ぐためには、漆などを塗った。
93、縄文人の多くは、無病息災と魔除けのために刺青をしていたようだ。
94、縄文時代には丸木舟などで外洋や、海外まで乗り出していた。
95、縄文時代は温暖化が進み、海水があふれて、魚介類を捕れなくなった。
96、縄文中期ごろになると、南関東地方の海岸部に人口がかなり増えた。
97、縄文時代の円形に立てた巨大木柱は、外敵と戦う砦であろう。
98、縄文時代を通して、犬の他には動物を飼育していなかった。
99、縄文人は、食用と祈祷用にイノシシを飼育していたようだ。
100、伊豆諸島は本土から孤立していて、縄文文化はなかった。

101、縄文前期の人たちは、弥生人に比べて、背が高く細身であった。
102、貝殻で文様をつけた土器が、大隅海峡を挟んだ南北の地域にあった。
103、火焔型土器は、口縁部の把手が進化したもので、主に祈祷用と思われる。
104、縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期に区分する。
105、縄文時代早期以降の九州南部の人口の減少は、大津波が原因だ。
106、大小の石棒は、子孫繁栄のお祭りの道具として大切にされていたようだ。
107、縄文時代の国の特別史跡は、5か所である。
108、大規模な縄文遺跡・貝塚は、
    三内丸山遺跡(青森県)と加曽利貝塚(千葉市)である。
109、国の指定している縄文史跡は91か所、そのうち千葉県に12か所、
    青森県に7か所ある。
110、国宝57点の火焔型土器の出土地は、信濃川沿岸である。

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